釈迦内

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釈迦内guest

「釈迦内柩唄」メッセージ

「二河白道」を生きる

作家
高史明(コサミヨン)

一九三二年山口県に生まれる。
戦時下の日本に生まれた一朝鮮人の生い立ちを描いた「生きることの意味」(筑摩書房)は四十一刷を越える再版を重ねるベストセラーに。「少年の闇ー歎異抄との出会い」(径書房)「ほんとうの幸せって何ですかー高史明親鸞論集」(宝蔵館)その他著書多数。一九七五年日本児童文化協会賞。一九九三年第二十七回仏教伝道文化賞を各受賞。

 「釈迦内柩唄」が、西本願寺の門法会館で公演される。まさに仏縁なのであろう。お浄土の水上勉さんの温顔が脳裏に甦るのを覚えた。水上さんは、長野市の公演をご覧になったとき、出演者に向かって「あなた方は日本人がやらなけれがならない仕事をやっている」と、一こと一こと言葉を確かめるように述べたと言う。
 原作は水上さんの晩年のお仕事であった。このお仕事には、第二次世界大戦の戦中と戦後の地獄を身をもって生き抜かれた作家の深い願いが息づいていると思う。近代日本は「脱亜入欧」の道を、「富国強兵」の掛け声に追われて、まっすぐに突き進んだのであった。この結果、アジア全域に歴史上かつてない犠牲者が出現している。恐ろしい大焔と血飛沫の怒濤は、当の日本人だけでも五百人を無間地獄に突き落としたのである。

 「釈迦内柩唄」の舞台は、花岡鉱山で現実におきた「花岡事件」であった。鉱山のあまりにも過酷な使役に堪えかねた中国人の抗議ー。四百人以上が惨殺され、しかもその事実は地下に埋め込まれようとしたと言う。水上勉さんはこの事件を、戦中のアジアの悲惨の象徴と見たのではなかったか。舞台の中心は、人間万人が必ず通ることになる火葬場だった。「隠亡」一家の目が、生者と死者の根っこを抉りだしているのだ。
 思えば、今日の世界は百年来の大恐慌に教われているのだった。しかも、その百年前とは、朝鮮が日本の植民地にされていった時期ではなかったか。その朝鮮の骨に凍みる深い不幸こそがまた、その後の日本の戦争の悲劇の始まりとなったのである。ここに深くアジアの不幸を思い返さないではおれない。世界に広がる新しい大恐慌の怒濤が聞こえる。今度こそ、戦中・戦前のアジアの不幸の根っこを真っ直ぐに見つめたい。

 無量の仏さまがいま、私たち生者のあり様を見つめておられるのだ。