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出会い

希望舞台の出会い

銀色の泪

北海道岩見沢市

 K先生と初めてお会いしたのは、雪晴れの青い空がまぶしい12月の午後のことだった。 ガラス張りのレストランは冬の日射しがいっぱいで暑いぐらいだった。
 眼の前に座ったのは、往年のスター、細川ちか子のような美しさと品のよい色香の女性である。「ワー、素敵」と心の中で叫んでいた。70才でこんなに素敵でいられるなんて、それだけでも尊敬できてしまう。先生は是非この岩見沢で『おばあちゃん』の公演を実現させましょうと云って下さった。そしてこんな話をして下さった。
 先生の友人に保護司をしている人がいて、あるときそのAさんにフルートの演奏会に誘われた。彼女は保護観察下にある10代の青年を同伴していた。茶髪のその青年はシンナーがもとで少年院に入っていたとのこと。フルートの演奏はクラッシックから日本の童謡へと進んでいった。先生の前に保護司のAさん、その隣に青年が座っていた。先生の席からは青年の横顔がみえていた。
 童謡が何曲か続いていたとき先生はハッとした。身じろぎもせずにいたその青年のホホが濡れているのだ。つぎつぎ流れ落ちる涙を拭おうともせずに…。先生にはその涙が銀色に光って見えた。
 帰りの車のなかでAさんは青年に「無理に誘って退屈させちゃったかしら」と声をかけると青年は「イヤー、べつにー」と応え、Aさんがさらに「もう少し若者むきの曲もあれば良かったのにね、悪かったわね」というと青年は「イヤーべつにー」と答えるだけだった。
 そのコンサートから数日後、青年は昔の仲間とシンナーを吸い線路で寝てしまい帰らぬ人となってしまった…。
 本当は誰もが持っている「感動する心」の大きさについて考えさせられる、悲しいけど胸に突き刺さる話だった。その話しをしている先生の眼にも銀色に光る涙があった。
 先生は現役時代、子供が体力をつけ身体が充分目醒めた状態で授業を受けられるように何人かの生徒にマラソンを教えていた。自分の家から先生の家まで走ってきたら手作りのおやつを食べさせ励ましていた。走る生徒の数はドンドン増えてゆき、最後は担任の子供達だけではなく隣のクラスの子供や妹や弟まで連れて来て、多い時は50人を超える子供達が走ってきた。
 人数が多くておやつが足りなくなったときに作ったと云うメニューの一つをご馳走になったことがある。お餅をバターで焼いて生ハムをのせパリッとした海苔で巻いたものだ。手早く出来て美味しくて感激した。当時の子供達もきっと嬉しかったにちがいない。先生は「食べ物で釣っちゃった」と笑っておられたけれど、子供に対する愛情が伝わってくるエピソードだった。
 数年前にご主人を亡くされ、今1人暮らしの先生は、毎朝、日の出前に起きて畑に行く。先生の畑の作物はことの外、美味しい。もぎたてのサニーレタスの茎から乳白色の液がでるということは先生の畑で初めて知ったことだった。
 先生は今朝もあの畑に出かけられたのだろうか。

 1週間前には札止めし、立ち見になる観客のため座ぶとんを用意した当日の劇場。先生につながる仲間の顔、顔。何物にも代えがたい宝物をいただいた日々だった。

記・玉井徳子(2000.10.29発行 通信NO.28より)