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希望舞台の出会い

劇場が学校だった

山梨県北杜市

「手前味噌になりますが…」「米田くんは『よろしく』という言葉はどう言う意味だと思いますか?
 「手前味噌になりますが…」からはじまる山田さんの話はたまにダブったりするがいつも面白い。
 
 3月28日合併して間もない北杜市の公演の、実行委員長。山田博幸さん。その瞳には涙が止めどなく溢れていた。僕はその涙の本当の意味を探り倦ねていた。
 65年前のその日、真っ赤に染まる夜空を見上げたという。当時彼は東京豊島区に住み学徒勤労動員の中学生でした。後日、深川へ出勤していた学友を捜しに行き一人で焼けただれた死体の中を探しまわった。魚市場の魚の如く並べられた焼死体は、今も脳裏に焼き付いているという。
 その後、4月5月7月と移る度に空襲で焼かれた。特に大切にしていた本が白い灰になった時は声をあげて泣いた。まともに学校にも行けなかった彼だが戦後の混乱の中、卒業した中学の教頭に勧められ帝国銀行へ就職の手続きをした。まさか受かるとはと思ったそうだが、丸の内の本店へ行くと三人程の受験生。簡単な口頭試問を受けただけで数日後には採用通知が届いた。戦場へ向けられた行員の大部分が未帰還の状態で幸運にも帝国銀行へ中卒で就職した。(その後、三井と第一に分かれたが、山田さんは創業者の渋沢栄一氏の銀行理念を強く残った第一を選んだ。)
 ところが戦争が終わっても素直に喜べない事があった。時代が変わり世の中が自由になり豊かに発展したが、学徒動員、空襲、疎開等でまともに学校に行けなかった事がとても惨めな気持ちにさせたという。
 そんなある時、職場の先輩達が「芸能祭」を企画し、年少の彼も誘われるままに参加、演劇の裏方にたずさわった。
 そして、芝居と出会った。
 演劇研究会が出来、文学座、俳優座、民芸等の各後援組織発足にも参加し、千田是也、松本克平、杉村春子など様々な演劇人達と豊かな出会いが山田さんの人生を変えたという。
 演劇からは「人間」とは何か、第一銀行からは渋沢栄一氏の理念を学んだ。学校へ行けなかったという渇いた心に、本当の生きた教育をみるみるうちにしみ込ませた。何回も通った六本木俳優座劇場のロビーのギリシャ語で書かれた「汝、人間たれ」を見上げる度に胸が熱くなったという。
 その後、清里に移り住み、清里初のペンションを経営し、地元の方との友情、絆を深め、清里ペンションブームの先駆けとなった。清里町を愛し芝居を愛し、人間を愛する。
 お話好きな、ちょっと涙もろい山田さん、その涙にはどんな人生が溶込んでいるのだろう。

 「手前味噌になりますが…日本語『よろしく』は日本人の心。察する気持ちが表現されています。いわゆる思いやりの、『推察の美学』です。」「こんな日本に生まれて、本当に幸せです」と…
…なるほど…
 また、素敵な話を聞かせて下さい。山田さん。

記・米田 亘(2010.10.06発行 つうしんNO.48より)